誰よりも戦争に反対した男、
山本五十六

アメリカとの国力の違いをよく知っていたために、誰よりも戦争に反対していた山本五十六。
真珠湾攻撃までの苦悩を辿る

戦争について考える

三国同盟をむすんでから その1

三国同盟締結

海軍では世論の高まりとドイツのソ連侵攻といったこともあり、三国同盟に反対している立場から遂に従来の方針を改めることになりました。海軍大臣及川古志郎は、同盟締結に賛成してしまうことになりました。

昭和15年(1940年)9月27日、日本・ドイツ・イタリアの三国軍事同盟がついに締結されることになりました。新聞各社や一般大衆は三国同盟締結を大いに喜び歓迎しました。そして、ヨーロッパでのドイツ軍の戦果に酔いしれていきました。

日本からすると、アメリカとイギリスを相手に戦争すること自体のメリットはほとんどありませんでしたが、対中国との戦争に勝利するためには、中国が受けるアメリカ・イギリスからの支援を遮断する必要がありました。昭和16年(1941年)、日本軍は仏印(フランス領インドシナ)に進駐しました。そこは軍需物資の支援ルートになっていたからです。

この日本軍の仏印への進駐を契機に、アメリカは対日経済制裁を発動します。その日本に対する経済制裁は、石油や鉄の輸出を停止です。無資源国の日本は、それらの重要な資源をアメリカからの輸入に頼っていたこともあり、この経済制裁によって日本は大きな打撃を受けることになりました。まさに山本五十六の予想通りです。日本とアメリカとの関係は、ますます悪化してしまいました。

外交にようる事態の打開を図るべく日米交渉が開始されましたが、アメリカは、日本が権益を持っている満州(中国東北部)からの全面撤退を要求してきました。日本が満州にそれまでに注ぎ込んだ莫大な戦費と戦死者を考えると、絶対に日本が受諾出来ない内容の通告でもありました。日本が受諾できないことを承知でアメリカは日本へ提示したともいえます。これはアメリカも日本との戦争を望んでいた事を意味しています。

マスコミ(新聞社)では、日本とアメリカとの国力の違いなどの分析などはされていませんでしたので、もちろん国力の差などが紙面に載ることもありませんでした。国民が10倍の国力差があったことを知っていたとは思えません。それと、同様に10倍の国力差があると言われいた日露戦争に、日本が勝利したこともあって国民も冷静な判断をすることが出来なかった要因の一つでもあります。日露戦争当時は、ロシアでは革命が起きたために総力戦にならなかったことがあるため、日本はかろうじて勝利することができたのです。

映画の小料理屋「志津」では、お酒に酔った客が「戦争によって景気が良くなる」と言い対米開戦に賛成するシーンがありますが、この酔客のセリフは当時の一般的な日本人の戦争に関する考え方だったといえます。日本では古くは蒙古襲来から、日清・日露戦争・満州事変とありましたが、かつて日本は外国に負けたことはなかったこともあり、そして日本は攻める側だったので、日本国内で外国軍との戦場になったことはなかったことも関係があります。(これは今のアメリカにも言える事。アメリカは真珠湾攻撃で奇襲を受けましたが、決してアメリカ本土で戦場になったことはない)

日本国民の考える戦争とは、戦争は日本ではなく別の場所で行うもの。自分達の日常生活を送る中で、頭の上から爆弾が降ってくるものではない。という考えでした。映画の中で、女将の谷口志津(瀬戸朝香)は甥を支那事変で失っていますが、戦争の悲惨さを実感していたのは国民のごく一部だったと考えられます。

泥沼の戦いをしている陸軍、マスコミと知識人、そして不況を脱したいという「世論」、その全てがぜんぶ交わり一体となって日本は対米英開戦へと突き進んでいきました。

五十六に学ぶ

開戦の前

昭和16年(1941年)当時の主要艦保有数は、日本海軍が戦艦10隻、正規空母6隻、軽空母3隻でした。それに対して太平洋方面の米海軍は、戦艦8隻、正規空母3隻、軽空母0隻だったこともあり、日本側が優勢でした。この日本海軍の保有数は、長期間に渡って国の予算を多く軍事費に割いて艦の建造を進めてきたことで日本側の方が多い結果です。

しかしアメリカの工業力は日本をはるかに凌いでいました。よっていざ建艦競争になった時には、日本側に勝ち目がないのは明らかでした。実際に開戦後に竣工した数を見ると、日本が戦艦2隻、正規空母9隻、軽空母9隻。この竣工された数には、他の艦種からの改装を含んでいますが、それに対して、アメリカでは戦艦10隻、正規空母22隻、軽空母はなんと93隻と圧倒的な数を竣工してます。このことからも、工業力では日本とアメリカでは圧倒的な差があったことが分かります。おまけに、石油を自給できない日本の石油備蓄量はたったの半年分。アメリカ・イギリスと開戦しないという選択をするのであれば、確実に半年後には石油が無くなってしまうので、現時点でわずかでも優勢な海軍が戦わないままに動けなくなることを意味していました。

真珠湾攻撃は、空母機動部隊の航空兵力でアメリカ太平洋艦隊が停泊する真珠湾を奇襲して、奇襲することで大打撃を与え敵の戦意をくじいて講和に持ち込むという構想でした。そしてこの作戦は、航空機が登場してまもない時代に、航空機を集中運用するというかつて世界の戦史に類を見ない前代未聞の作戦でもありました。

開戦の3ヶ月前に行われた図上演習(シミュレーション)では、アメリカ軍の戦艦5隻と空母2隻の撃沈破することの引き換えに、日本の受けるダメージは保有する正規空母4隻全て(うち2隻は建造中)が全滅するシュミレーション結果となりました。軍令部総長の永野修身(伊武雅刀)はこの結果に大変危惧することになりました。それは、石油資源を狙った南方作戦に割く空母がなくなってしまうということを意味してもいることから、この作戦はあまりにも投機的であるとして断固反対しました。しかし、日とアメリカとの国力の差があまりにも大きく、開戦冒頭の一撃にすべて賭けるしか他にない!と考えた山本五十六は作戦の実施を強く主張していきました。この投機的な考えは、山本五十六の博打好きに影響があるとも考えられます。いちかばちかといった博打を打つのが大好きな山本五十六だけに、この性格が世紀の大博打を実行に持ち込んだ一つの要因とも考えれらます。

真珠湾攻撃 その1

開戦冒頭の一撃にすべてを賭けるとした山本五十六の着想を具体的な攻撃計画として立案したのが、黒島亀人参謀(椎名桔平)です。二つの問題点がこの作戦にはありました。まず1つ目は、航続距離の問題です。当初案では航続距離が短い蒼龍・飛龍は不参加とされていましたが、これでは攻撃力としてとても不十分でした。黒島参謀は、冬の北太平洋上が例年荒れる洋上での燃料補給問題の解決に心血を注いで、全6隻参加案を立案しました。

2つ目の問題は、真珠湾の水深が12mと浅いため魚雷によっての攻撃ができないということでした。魚雷は攻撃機から投下されてから、一旦50mほど沈みます。そして調停深度に浮上してくる仕組みとなっていますが、真珠湾の水深が浅いため魚雷を投下すると、そのまま海底に刺さってしまうからです。これに対して、航空技術廠は投下後の走行安定性を高めた愛甲魚雷を開発します。そして航空隊は真珠湾とよく地形の似ている鹿児島湾で、超低空からの魚雷投下訓練を行いました。これにより魚雷投下後の沈下は10m以下となりました。

2つの問題点はクリアされました。黒島参謀は永野軍令部総長に、「ハワイ作戦が認められなければ山本五十六は連合艦隊司令長官を辞するとおっしゃっている」と強く迫ったこともあり、ついに作戦を認めさせることに成功しました。

映画では山本五十六は真珠湾内に特殊潜航艇を潜入させて雷撃させるとした案を「九死に一生ならよいが十死はだめだ」と言って却下していますが、実際には、その後隊員を回収する一応の目処がついたとして、この案を許可しています。

戦争を忘れない為に
2013 誰よりも戦争に反対した男、山本五十六