誰よりも戦争に反対した男、
山本五十六

アメリカとの国力の違いをよく知っていたために、誰よりも戦争に反対していた山本五十六。
真珠湾攻撃までの苦悩を辿る

戦争について考える
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あらすじとその当時の背景

映画あらすじ

昭和14年(1939年)夏。日本・ドイツ・イタリアの三国軍事同盟締結をめぐって、日本中が揺れに揺れていました。日本国内では、国内の不況もありました。

2年前に勃発した支那事変が泥沼化しつつある中で、日本は支那を支援するイギリスとアメリカに対抗するためにも、新たな勢力と手を携える必要がありました。そしてアメリカや中国との摩擦もあり、世間には閉塞感がみなぎっていました。一般大衆は閉塞感からはけ口を求めていきます。そして、陸軍では強硬に三国同盟締結を主張していきます。

そして陸軍だけではなく、一般大衆の国民の多くも強大なナチスの力に熱狂してていき、ヨーロッパで台頭するドイツやイタリアとの三国同盟締結による事態解決を望むようになり、軍事同盟に新たな希望を託していていきます。また新聞(マスコミ)も一般大衆に迎合して、部数獲得のために大衆をますます煽っていきます。そして対外強硬論(戦争)を盛り上げていくのでした。

異常ともいえるその雰囲気の中で、世界を冷静に見つめ世論にも敢然と異を唱える男がいました。海軍次官山本五十六(役所広司)とはじめとした海軍大臣米内光政(柄本明)、軍務局長井上成美(柳葉敏郎)です。山本五十六は戊辰戦争に敗れて賊軍とされた新潟県長岡市に生まれています。海軍兵学校を卒業してから日露戦争に従軍し、その後に海軍の要職を歴任しながら、欧米各国を視察して世界を見て知ることになり、更に登場してまだ間も無い航空機の優位性に着目した海軍軍人です。

彼らが世論に真っ向から反対する理由は明確でした。、同盟締結は必ずアメリカを刺激して戦争の原因となり、日本がドイツと結ぶことになれば、必ずアメリカとの戦争は避けられないものになる。日本と10倍の国力を持っているアメリカとの戦争は、何としても避けなければいけない。国力で大きな差があるアメリカとの戦争を交えることになれば、国が滅んでしまう。として断固として反対し続けます。それは陸軍の脅しと三国同盟を求める世論の声にも決してひるむことはありませんでした。命を賭して反対を唱え続ける五十六たちがいました。その甲斐もあり、やがて三国同盟問題は棚上げとなりました。

五十六に学ぶ

昭和14年(1939年)8月31日、山本五十六は生涯最後の職になる「聯合艦隊司令長官」として旗艦「長門」に着任します。

翌日の9月1日にアドルフ・ヒトラーが率いるナチス国防軍は突如ポーランドに侵攻します。そしてヨーロッパを舞台に第二次世界大戦が勃発するという世界情勢は急転することになりました。ドイツはヨーロッパで連戦連勝の、快進撃を続けていきます。そんなドイツの力に幻惑され、新聞に煽られた一般大衆とソ連に対しての牽制を狙っている陸軍が再びますます三国同盟終結を求めていき、その声は沸騰していきます。そしてその流れに抗しきれず、海軍大臣及川古志郎は従来の方針を改めて、三国同盟締結に賛成してしまいます。

昭和15年(1940年)9月27日、遂に日独伊三国同盟が締結されることになりました。これから日本は戦争への坂道を転がり落ちて行くことになります。国内では一般大衆による世論と新聞各社からの扇動があり、アメリカから加えられていく圧力とによって、日本は遂に開戦を決意することになります。そして戦争によって事態打開を目指す事になりました。しかし、誰もこの戦争に確固たる見通しは無い状態です。ヨーロッパでのドイツ軍の勝利にかすかな希望を託しているという、先行きが全く見えない中での開戦でもありました。そして、アメリカとの戦争を一番反対した山本五十六が、聯合艦隊司令長官として40万人の将兵を預かる立場としてその任に就くことになりその矢面に立つことになりました。。対米戦回避を願う山本自らの信念とは裏腹に、日本は一日一日と戦争へと向かっていきます。山本五十六は、自らの信念と時代とのずれに苦悩し続けます。

しかし昭和16年(1941年)の夏、山本五十六は米国との戦争をどうしても避けることは出来ない・・と悟った時に、五十六は一つの作戦を立案する。それは、悲壮な決意でもありました。アメリカと戦争をする以上、初戦で大勝することで短期間で戦争を終結するほうへと導き、早期の講和を結ぶ。それは、米国太平洋艦隊が停泊しているハワイの真珠湾(パールハーバー)を航空機によって奇襲する。山本五十六は世界の戦史に類を見ない前代未聞のこの作戦を、軍令部の反対を押し切ってまで敢行しようします。それは戦争に勝つための作戦ではなく、一刻も早く戦争を終わらせるため差し違える覚悟での苦渋に満ちた作戦でした。そして、この山本長官の作戦が始まろうとしていました。

開戦前の日本(シナ事変)

昭和の初期は、第1次世界大戦でヨーロッパの産業が大きな打撃を受けたこともあり、日本の輸出は好調でした。やがてヨーロッパが戦後から復興していくに従い、質が良くない日本製品は売れなくなっていきました。そして日本は雇用不安と所得格差に苦しむことになり、総理大臣は次々と短期間で交代を繰り返していきました。(21世紀の日本の様にも思えます)そして、その不況からの脱出を考えて日本が考えたのは、中国大陸における利益と権利を拡大していこうとしました。そして昭和12年(1937年)に盧溝橋事件から支那事変へと戦線を拡大させていきます。

日本の新聞での論調と立場は、日露戦争まではほとんどのマスコミが戦争反対の立場でした。戦争の足音が近づくにつれて、戦争反対を謳う新聞は売れなくなっていきました。新聞の売れ行きを思慮するにつれて、戦争反対のから戦争賛成へと転換していきました。紙面を勇ましい論調で戦争を煽れば煽るほど、新聞の売り上げが伸びていきました。信濃毎日新聞などのごくごく少数の反戦論調の社以外の大手、東京日日(現毎日)、朝日、時事新報(現産経)、読売は全て戦争賛成へと回りました。日本の国民は、戦争賛成の論調を求めて新聞を買い、新聞は戦争賛成の論調を書くことで世論を形成していきました。

映画の東京日報ですが、映画上の架空の新聞社ですが、その当時の大手新聞各社がモデルになっていると思われます。各社の無責任とも思える報道姿勢は、草野嗣朗編集長(益岡徹)が戦争を部数拡張の機会として記者にゲキを飛ばすシーン、宗像景清主幹(香川照之)が社説を使って国民を煽り立てるシーンによって描かれています。

支那事変当時の中国ですが、軍人の数は多い人数でしたが武器などの近代化が大きく遅れていました。戦闘は日本軍側が優勢な戦況でした。しかし、日本の中国大陸における勢力拡大していく様子は、日本と同じように中国大陸での権益を狙っているアメリカやイギリスにとって、目障りな存在でもありました。そしてアメリカ・イギリスは中国に武器や軍需物資を支援していきました。中国はこの支援を元にして、日本との戦争を継続していました。

日本では中国を支援するアメリカ・イギリスと対抗するために、ドイツ・イタリアとの同盟を結ぶことにに期待が寄せられていきました。新聞では連日のように対米強硬論を主張し、アメリカの高まる外交的圧力と排日移民法に反発する一般大衆の勢いは、膨らんでいくばかりで一向にとどまることはありませんでした。特に強硬に日独伊三国同盟締結を主張したのは、泥沼の戦を中国大陸でしていた陸軍でした。

その中で、三国同盟を結ぶことに真っ向から反対したのが海軍大臣米内光政、海軍次官山本五十六、軍務局長井上成美でした。もし日本がドイツと結べぶことになれば、必ずアメリカとの全面戦争を避けことは出来なきなくなるからです。三国同盟締結に海軍だけが唯一反対を続けていきましたが、国民の間も含めた日本社会では激しい非難が巻き起こりましたが、山本たちの努力によって三国同盟問題は棚上げとなりました。

この棚上げとなったことには、ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことも影響しています。ドイツが日本の仮想敵国でもあるソ連を攻撃しないならば、日本にとって三国同盟はメリットが少なくなってしまうからでした。

映画の中で、陸軍部隊が海軍省に向けて銃を構えて威嚇するシーンがありますが、あのシーンは創作と思われますが、あの場面は当時の陸海軍の同盟に対する考え方の対立を見事に表現したものといえるでしょう。

戦争を忘れない為に

昭和14年(1939年)の阿部内閣発足しました。山本五十六は米内海軍大臣に引き続き海軍次官の職を望みました。しかし、山本五十六の身を心配していた米内海軍大臣は8月31日「聯合艦隊司令長官」に任命して、安全な旗艦「長門」に山本五十六を着任させました。なぜ「長門」に着任させたかというと、陸軍を筆頭とする三国同盟賛成派が山本五十六のイメージを悪化させるプロパガンダを展開していき、暗殺の風評を流していたからです。そして、井上成美は第四艦隊(支那方面艦隊)司令長官に着任しました。

昭和14年(1939年)、世界の戦局が大きく変わる出来事がありました。アドルフ・ヒトラー率いるナチス国防軍がポーランドに進攻して、遂に第二次世界大戦が勃発しました。ドイツはオランダとフランスを瞬く間に降伏させることになり、その次の矛先はイギリスへと向かっていました。無資源国の日本からすると、これらの国は喉から手が出るほど欲しい資源を産出する蘭印(インドネシア)や仏印(ベトナム)英領マレー(マレーシア)を植民地としていました。これらの植民地を奪うには、まさに絶好のチャンスと見た新聞社は「バスに乗り遅れるな」というスローガンを展開して世論を三国同盟締結賛成へと誘導していきました。また、ドイツがソ連と結んだ独ソ不可侵条約を破棄して日本の仮想敵国のソ連に侵攻したことも三国同盟を結ぶための追い風となりました。

2013 誰よりも戦争に反対した男、山本五十六