誰よりも戦争に反対した男、
山本五十六

アメリカとの国力の違いをよく知っていたために、誰よりも戦争に反対していた山本五十六。
真珠湾攻撃までの苦悩を辿る

戦争について考える

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今年も終戦記念日が終わりました。毎年、終戦記念日に靖国神社へ総理大臣が参拝するのかしないのか。また大臣職の誰が参拝するのか。といったことがニュースを賑わし、靖国参拝に賛成するコメントや中国や韓国といった国の靖国参拝の報道などが連日ニュースに流れる日でもあります。

終戦記念日の8月15日は、第二次世界大戦で玉音放送で昭和天皇より、日本の降伏を国民に発表された日でもあります 。第二次世界大戦を舞台とした映画は数多くありますが、2011年12月23日に公開された映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』はタイトルにもある通り、聯合艦隊司令長官・山本五十六元帥の実像を映画化した戦争映画です。キャッチコピーは「誰よりも、戦争に反対した男がいた。」山本五十六を演じるのは役所公司です。この映画では、今まで山本五十六を題材とした映画は他にもありましたが山本五十六のパーソナリティや人間味を描き出す工夫がなされています。例えば水饅頭や汁粉が好物だったエピソードなどを交えているので、人間味あふれる山本五十六を描き出されています。そして時代考証にも正確を徹底していて、艦の食器に至るまで随所に正確さを徹底している作品です。

映画のキャスト&スタッフ

キャスト

スタッフ

劇中でのエピソード

時代考証にも徹底し、かつ史実に基づいてのエピソードが劇中に描かれていますが実際のエピソードも交えて描かれているシーンが劇中にあります。

堀悌吉(ほりていきち)

映画の前半で、山本五十六(役所宏司)が聯合艦隊司令長官に就任して、堀悌吉(坂東三津五郎)とスイカを食べながら会話するシーンがあります。ちなみにこの時の堀は、現役海軍軍人では無く予備役軍人でした。

堀悌吉と山本五十六とは、海軍兵学校時代の同期生から始まり、兵学校以来の親友でした。その当時の、海軍兵学校への入学はとても難関で非常に狭き門でもありました。しかし2人とも明治34年(1901年)12月16日に、第32期生として入学しています。入学時の席次ですが堀が3位で、山本が2位。そして入学後2人はすぐに意気投合してそれから生涯を通じての親友となりました。兵学校へ在校中には、2人はミカンの大食い競争をしたりするなどして、羽目を外す事もあったといいます。またそのミカン大食いのエピソードは、映画の中で山本と堀との会話へも出てきます。明治37年(1904年)に、山本と堀の2人は海軍兵学校を卒業します。卒業の時の席次は堀が主席で、山本が11位でした。堀は兵学校時代の在学中から、とても優秀な成績を収めていたこともあり、これからの先の海軍を背負って立つ逸材として、とても期待されていました。海軍兵学校を卒業した2人は順調に出世していきます。そして海軍の要職を歴任していきました。しかし昭和5年(1930年)に締結されたロンドン海軍軍縮条約が堀の運命を変えることになりました。

このロンドン海軍軍縮条約で、日本の補助艦艇保有比率はアメリカ・イギリスの約6割となることになり、この条約に対して日本国内ではとても大きな非難が巻き起こることになりました。特に海軍内部は、この条約に賛成する条約派と反対する艦隊派に分かれて対立しました。その結果、日本はこの条約を批准する事にはなりましたが、堀を始めとする条約派の軍人の多くは、艦隊派から疎まれることになり堀は予備役へと追いやられてしまいました。堀は海軍から将来を期待された逸材だったにも関わらず、優秀な堀悌吉を予備役へと追いやった海軍にとても失望した山本五十六でしたが、山本自身も海軍を辞することを考えましたが、堀に諭されて思いとどまったといいます。しかし、この出来事は海軍内部にしこりとして残ることになり、このしこりは後々まで尾を引く事へとなりました。そして、この時艦隊派の筆頭として活動したのが、後に第一航空艦隊司令官となる南雲忠一大佐(当時)でした。

博打

映画の中で、山本長官と(役所広司)が三宅参謀(吉田栄作)がたびたび将棋をさすシーンがあります。

実際の山本五十六ですが、賭け事や博打(そして女性も)がとても大好きでした。そして金銭が絡むとさらに強さを発揮していて、ブリッジやポーカーなどはもとより、艦内でも参謀相手にトランプや麻雀や将棋をしていました。特に、参謀の三和義勇(映画の三宅参謀のモデル)とは、一緒に将棋をさした仲でした。

映画の中盤では、山本長官(役所広司)が空母「赤城」の格納庫のシーンがあります。そこで、搭乗員の牧野少尉(五十嵐隼士)に、モナコのカジノの話をする場面があります。

大正12年(1923年)6月に、山本五十六が中佐時代に井出謙治大将の随員として欧米視察旅行に出かけました。その際に南フランスのモナコに立ち寄りました。無類の博打好きで金銭が絡むとめっぽう強くなる山本中佐ですが、モナコのカジノでルーレットを何度も大勝しています。その結果、モナコのカジノ協会から出入り禁止になったという逸話も残されています。また、このエピソードに関して後に、井出大将(この時の上司)に対して、「私をヨーロッパに2年ほど遊ばせてくれれば、戦艦の1隻や2隻を造れるだけの金を稼いできますよ」とうそぶいていたといいます。山本が博打に関する持論があり、「私利私欲を挟まず、科学的数学的でなければならない。」と言っていたといいます。そして「博打をしない男はろくなものじゃない」という言葉も残しています。

花柳界の人気者

映画の冒頭で、海軍省から退庁しようとする米内海軍大臣(柄木明)に対して、山本海軍次官(役所広司)と井上軍務局長(柳葉敏郎)が、みょうな所に寄らず(みょうな所=なじみの芸者がいる料亭)に、真っ直ぐ帰るようにたしなめるシーンがあります。

米内光政は、とにかく女性関係が派手でした。築地の料亭にも、米内なじみの芸者(愛人)がいて、頻繁に通っていたといいます。米内大将が海軍大臣だった昭和11年(1936年)2月26日夜に発生した陸軍青年将校のクーデター事件(2.26事件)の際にも、米内は料亭に芸者と宿泊していました。そして翌朝に、クーデター事件(2.26事件)の一報を聞いて、あわてて海軍省に駆けつけたといいます。しかしこの時は、井上成美(軍務局長)が機転を利かせて万事取り仕切っていました。そして朝9時過ぎに悠々と登庁してきた米内海軍大臣を見た海軍省職員は、クーデター事件があったにも関わらず動揺していない!と勘違いをしていて、その堂々とした姿にむしろ感心したといいます。

この映画の中では一切描かれていませんが、山本五十六も同じようにに女性関係が派手でした。そして、宴会でも逆立ちなど宴席を盛り上げ花柳界の中でも人気ものでした。そして河合千代子(新橋の芸者、芸者名:梅龍)とは愛人関係にありました。戦地でも度々河合千代子と手紙のやり取りをしていました。

これに対し、井上成美の方は、芸者遊びや愛人を囲う事には一切興味が無かったようです。宴会の場で座敷に芸者が大勢来ると、頭から布団をかぶって本を読んでいたといいます。

山口多聞(やまぐちたもん)

山口多聞(海兵40期、海軍大学校首席卒業)は、山本五十六(海兵32期)の8期後輩にあたります。映画の中で、山本長官のよき理解者の一人として、第一航空艦隊第二航空戦隊司令官の山口多聞(阿部寛)が登場します。山口の最期には、ミッドウェー海戦で沈み行く空母「飛龍」にただ一人残るシーンがあります。 ちなみに空母「飛龍」に掲げていた少将旗は生還した第二航空戦隊首席参謀伊藤清六中佐に託されて、現在広島県呉市の呉市海事歴史科学館に展示されています。

2013 誰よりも戦争に反対した男、山本五十六